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般若「話半分」/10.家訓

般若「話半分」/10.家訓


今から言うこと3つ守れ
1つ目はあいさつだけはしとけ
勉強や運動出来なくても
大きな声でソレだきゃしとけ
2つ目言うから良く聞いとけ
オレより先に絶対死ぬな
どんなにでっかいケンカをしても
母ちゃんだけは大事にしとけ


般若「話半分」より「家訓」


家訓っていうのは約束事だ。私みたいに、約束事をちゃんと守れない人が聞いて、どうこう書ける事はない。わざとだろうが偶然だろうが間違えたなら、約束違反だというのが私の心情だった。少し前に、約束を破った気がするんだけど、それでどんだけ落ち込もうが相手は知らないと思うし、相手は怒ってると思うし、謝っても遅いと思う。だから、書きづらくてしょうがなかった。そして、今、こうやって書いたところで、どこまで言ってもその言い訳にしかならないから、ぶっちゃけ書きたくないのが本音だ。
そして、こうやって書いたら、"じゃあもう書くなよ"っていう話になってくる。先に先に相手が否定してくるのが目に見えるのは何でだろう。揺るがない信条が無いからかもしれない。そう思えば、この曲の真価が、私にも分かる。
"家訓"を、話半分に聞く人はいない、真に受けて聞くべきだ。
別に、信条は宗教じゃない。それぞれ意見があって良いと思うけど、自分の意見をぶつけて相手がどう思うか想像出来ないなら、いい加減な事を言わない方がいい。約束事を破ったり、相手が傷つくような事をしてしまう私にさえ、それが分かるんだから、分かっていないのなら、それは、想像力か思いやりにかける。口から出任せに相手に対して何でも言えば良いというものでもないと思う。
それは、私がここ数年、痛感したことなので、間違いないと思う。
この家訓は、口から出任せに言える事じゃない。家訓と命題された時点で、とても大きな信条であり、ちょっとしたことで変更出来ないからだ。そこには覚悟と約束が詰まった思いやりの言葉が語られている。話半分に聞くべきじゃない事を思い知らされる。
この曲から感じるリスペクトは、家族に対してものであり、リスペクトがあるからこそ思いやりが存在している。大切な話をしているからこそ、そこに侮蔑や罵倒は一つもない。単なる優しさではなく、今まで生きてきた人生の中で、大切な事を伝えたいからこそ、相手に丁寧に伝え、言葉を選んでいるのだと思う。
冒頭から人の生を祝福するように、家族であるだけで素晴らしい事を説けるのは、家族というものに対してどれだけの思いを持って生きていたのかが伝わる。それは、「家族 feat.KOHH」を聞いてもよく分かると思う。いるだけで有り難いと思える人がいる事を当たり前のように享受している日常の大切さを再確認できるような家訓であり、自分に何もない訳じゃないからこそ、その絆を守るために行動すべきであるという大切な信条がリリックに込められている。そして、家族を大切にする人間だからこそ、"君が居ない"という失う事への感情もまた底知れないと思う。

話半分というタイトルは、聞く人によって捉え方が変わる。
真に受けないで半分くらいで聞いたっていいという本来の言葉の意味で受け取って、中途半端に聞いてもいいのかもしれない。
でも、本当にそれでいいのかと思わせるくらい話の内容は真剣で、気迫がある。
私は、話半分くらいに聞いて置かないと自分が粉砕骨折すると言ったけれど、本当にそれくらい開きがあってお話にならないから、開き直っていた。
最後まで聞いて、感情移入出来ないくらいに開きがある。
私がこの記事書く為に「タイムトライアル」を聞いている。
何も書かない自分のその先を考えるのが怖いからかもしれない。その癖、時間は空けてるから話にならないなって、その開きにまた落胆して、どんどん追い付けなくなりそうだと思いながらも、書かないでいた。
だから、このままじゃ不味いんじゃないかと思って、記事を書くことにした。何も書いてない行間をいい加減に想像されるのは嫌だからだ。話半分に聞くんじゃなくて、真に受けて聞くことにした。

般若「話半分」/09.MY WAY

般若「話半分」/09.MY WAY



嵐が来る 何かを産む
創り上げてブッ壊して発射をする
ザラついた感覚の中 ひとつになる
俺達は何も無い だからこそ今が似合う
先の事は分からない 立ち止まるのクソダサい
空を見上げ 星を眺め 俺は思う 半端無い
時に何か得 続くこの MY WAY
笑い飛ばして行く ひたすらに前へ(舞え)



般若「話半分」より「MY WAY」



さっきオルゴールの話をしたけれど、中身はポルノグラフィティのMugenが流れる仕様になっている。何を予期して将来にこんな置き土産残したのか知らないけど、小学生の私の方がよっぽど今の私を脅迫してくるようで手に負えない。これは、タイムカプセルどころか完全に時限爆弾だ。この頃からどうも面倒臭がりな所があって、君は将来について、先送りの判断をして、目先の遊びに夢中だったんじゃないだろうか。そして、その宿題まるごと、箱にしまい込んで、未来に送りつけるなんて芸当をやってのけたんだ。ある意味で、流石だ。でも、都合よく時間が解決してくれないのが現実なんだよ。分かるかい?
小学生の自分にこれ以上文句言ったって変わらないから前を見た方が良いのかもしれない。君は一体何のために、「話半分」を今聞いているんだという事になってしまう。
この曲は、格好いい。タイトルに見合うくらいの情が動かされるリリックである。何かやれる気持ちにしてくれたり、込み上げる気持ちがこっちにまで伝わるだろう。とても前向きな表現が多く、この曲が過去をとやかく言ったりしていないあたりに、私の足りてない要素を痛感してしまう。前向きって言葉は、私には似合いそうに無いけれど、一生懸命に生きるっていいなとは思えた。どっちかって言ったら、後ろ向きに前に歩いている状態なのではと思う。手で押さなくても背中で押したって扉は開いてしまう。どういう姿勢でも時間は進むし、それが"MY WAY"に変わる。何ならかっこよく生きたいが残念な事に私は姿勢が悪い。そう考えたら、前向きにも後ろ向きにも歩いていない事に気づいた。多分、下向きに歩いているのが現実だった。ちゃんと前向いて歩かないから、予測不能に壁やら人にぶつかるのかもしれない。ぶつかって成長すれば、大人になれるのだけど、大人げない私には、昔の自分に対してすら"家訓"のようなメッセージを送ったって、陳腐になってしまいそうだから、般若の"家訓"を聞いてみようと思う。

般若「話半分」/08.汚ねえ居酒屋

般若「話半分」/08.汚ねえ居酒屋


汚ねえ居酒屋でジョッキを傾け笑う
一歩外に出れば高層ビル立ち並ぶ
肩で切るより この風で出来るだけ洗う
何でもねえ 何でもねえ 出来るだけ長く


般若「話半分」より「汚ねえ居酒屋」


素面で自分が何になりたいか話せるほど、私は出来あがっている人間じゃない。素面だったら、適当に誤魔化して本当の事なんて言うわけねぇ。この曲の話をするのに、一番都合悪い事があるとすれば、私は、酒を飲まないタイプの人間だということだ。酔っ払って口を滑らす感覚とかもよく分からない。さっき、公園でストロングゼロって書いたけど、あれ一缶で悪酔いして最悪な気分になっただけだから、もう絶対に飲みたくない。
だから、居酒屋に行く機会なんて、よほどでも無いとあり得ない。私が"汚ねぇ居酒屋"を想像したところで、所詮フィクションになってしまう。多分、"マクドナルド"の話をした方がよっぽどリアルになる。でも、居酒屋もマクドナルドも対して変わらないのは、その辺に、雑談が転がっていて、嫌でも耳に入ってしまうことだ。だから、ビートの上で繰り広げられる雑談のようなリリックは、ある意味ではセッションのように聞こえ、そこで交差する人生には、こくりと頷いてしまうリアルさが漂っていると思える。一番、話半分という言葉を地で行く曲かもしれない。他人事を真剣に聞くなんて、どこか矛盾している。雑談は、それこそ、話半分くらいに聞いていた方が良さそうだと思う。普通に生きていれば、皆、現実と真正面に向き合ってる事になる、居酒屋で話すときは、大抵斜め上くらいからそんな人生を見てるのかもしれない。それぐらいで眺める人生が話半分、酒のツマミになってくれそうだ。私も自分の将来を斜め上に見てみたら、一体何になりたいのか話せそうな気がする。

そうだなぁ、一体何になりたいか分からないけど、この記事を完成させた方が良いと思う。

結局、私は素面で書いてる訳だから、現実を直視して、今出来る事の話しか出来ない。エア居酒屋出来るほど私の居酒屋のカウンター席に余裕は無かったようだ。居酒屋から一歩外にでれば、誰でもそうなんだけど、そこには現実がある。居酒屋で現実でまた頑張る為に世間話なんかして一休みするんだろう。誰だって居酒屋でする話の目線はそんなにまっすぐではないけれど、"MY WAY"を追いかける視点はずっとまっすぐだと思う。

般若「話半分」/07.何者でもない

般若「話半分」/07.何者でもない



何者でもない 何者でもい
昼休憩終わり午後からまたサヴァイヴ
このバイト生活 どう抜けるかが課題
人から支持じゃなく指示され食いつなぐ まぁダサイ
って言っても悪い事する度胸ねえ
どんだけあんのかな 未来の可能性



般若「話半分」より「何者でもない」



この曲の良いところは、バースによって、"何者でもない"と始まる冒頭の聞こえ方が変わることだ。言葉は同じでも、背景が変われば、そこにかかる気持ちも変化していく。どこまで行っても"何者でも無い"と言える心持ちに、謙虚で向上心を持ち続けている姿勢を感じる事が出来る。一曲の中で言葉の重みが変わっていくリリックだと思う。仮に、私が、どこに当てはめられるかと考えた時、ちょうど、引用したぐらいじゃないだろうかと思った。冒険活劇の序章、ブレイブストーリーなら、ドアを開けた所、決意の朝にか。冒険物語の主人公は、勇気や情熱に溢れていて、主人公らしい。多分、現実だってそういう心持ちの人間は上手くやっていけると思いながら見ている。ドラクエの主人公達なんて、村が焼かれてる奴もいる。彼らに挫折という二文字は無いのかと不安になるくらい前向きだ。彼らは、物語が始まった時点で"何者"かになる道を歩いている。私は昔から何になりたいとか明確に思った事が無い。だから、この前、テレビに出てた小学生が「漫画家!」「料理人!」「プロデューサー!」なんて、はっきり目標を言っているのを見て、素直にすごいと思った。その時点で道は見えているのだから、あとは、走るだけだ。私が小学生の頃に作ったオルゴールを開けると、"私は将来何になっているのかなぁ"なんて、のんきな事を書いていた。今も分からないし、小学生の時から何になるか分からない漠然とした不安は全く解決されてないあたり、タイムマシンが欲しいとも思う。タイムマシンがあったら、小学生の自分に対して、ペニーワイズに成りきって、脅してやろう。(そんなことでバタフライエフェクトを起こそうとしてるあたりが大人げない。)
そういう人間にとっては、現実を直視している歌詞が、何者でもない自分とその先の道を考えるきっかけになったりする。
じゃあ、「お前、一体何になりたいんだよ」っていう、あまり直視したくない質問に対しては"汚ねぇ居酒屋"で答えたい。公園でストロングゼロよりは良いと思うから。

般若「話半分」/06.虎の話(あわよくば 隙あらば 俺だけが)

般若「話半分」/06.虎の話(あわよくば 隙あらば 俺だけが)


欲しがりません 立つまでは
そういう意味じゃなくて リングにな
倫理だけかざす奴に ドンキより本気でオイラはびっくりだ
交配を重ね 時を経て 急勾配な坂を登った
我々人類は皆集合体って事でハイ 集合だ


般若「話半分」より「虎の話(あわよくば 隙あらば 俺だけが)」


虎の話というと私は山月記を思い浮かべる。簡単にいったら、自意識の高すぎる男が拗らせた結果、虎になってしまうという話だったと思う。(たぶん)じゃあ、誰でも心の中に虎は飼っているけど、それを上手く飼い慣らして生活していると考えるのなら、人生は理屈だけじゃ語れないし、正しさだけで行動するのが全てじゃないと思える。般若の虎の話は、話半分の中では唯一、ふざけてる印象が強い曲だ。話半分というアルバムは一つの道のように筋の通ったアルバムだけれど、全部が正義や正論だけで出来ているわけでは無いからこそ、その話に人間味を感じる。
ぶっちゃけ、ここまで書いたけど、実は、ここまでが夢で、"もともとブログなんて存在していないんです"と行って欲しいくらいに、私は、文章を書くのに苦労するタイプだと思う。真面目にすらすら書けて無難にイラストをサッと描ける能力があったら、もう少し見栄えぐらい良くなりそうなものだけどと思う。その上、山月記の李徴ばりに詩人になって後世に作品残してやるとかいう自意識の高さを持てないから、虎にもならない。まあ、これで、拗らせて山林に駆け出したら、ちょうど虎になれそうだけど、それでも、よくて、野良猫ぐらいだ。ウォーキングデッドで誰かが、自分の事を家猫だと勘違いしている野良猫は哀れだって言ってたんだけど、自分はどうなんだろう…。とりとめの無い話で2-3行が過ぎる。うん、でもね、もし、これを100000人くらい読んでますって言われたら、ガッツポーズしてると思うから、やっぱり、私も人間だと思うんです。どうせ、誰も読まねえとか、自虐ネタ書いても、心の中には素直に読んで欲しいと思ってます。本当に、あわよくば 隙あらば 俺だけがって思いますね。よろしくお願いします。え?なんで、急に敬語になったのかって話ですか?
そりゃあ、ジョージ…。君の船を私が持っているから、是非、君に返してあげたいだけなんだよ。風船もあるよ。さあ、こっちに来るんだ…。
曲を聞いて、影響を受けた結果がこれだ。完全に悪のりも良いところだ。確かに正論だけじゃないから人間なのだけど、それ以外ばかり言うのも問題だ。虎になってしまう。そういう一面を受け止めて、前進しなきゃいけない。仮に、"何者でもない"としてもそうなのだ。

般若「話半分」/05.百発百中

般若「話半分」/05.百発百中

誰の事も舐めちゃいないから
殺す前に告白する 只
汚ねえやり方するよりまだ
コッチで魅せる ソレ 俺の性
何でもアリになっちまったな
その割に減っちまった 只
言葉遊びなら ソレ チャンバラ
オレか?オレなら見たまんまだ


般若「話半分」より「百発百中」

自分の言葉に"百発百中"だって言い切れない。そもそも、私に"百発百中"の銃は扱いきれない。暴発してどこに当たるか分かったもんじゃないからだ。16小節というマガジンの中に込めた弾を全弾撃ち込んで、人の心を射止めるのは、凄腕のガンマンでなきゃ出来ないことだ。これは、般若でなければ、打ち出せない弾だと私は思う。マイクを通して、打ち出す、魂のバレットは闇夜をつんざく一閃の稲妻だ………………。

きっと…感のいい君は……気づいてしまったのかもしれない………私が……何を…拗らせてしまっているのか…そして……私が"百発百中"という曲に…目をキラキラ輝かせて……古代から続く…闇の眷属の封印を……解こうとしていることをだ…

この一文だけで、私に"百発百中"という曲を作らせたら、歳にして、14,5の"闇の眷属"キッズ達の心だけをやたら撃ち抜くリリックしか作れないのが分かる。勿論、極炎十字式殺戮銃と書いてクロスロードヴォルカニックデススレイヤーと読む代物が登場するし、我が腕に魔改造して埋め込まれているという設定で話が進むに違いない。あ、でも、先天性の方が格好いいかもしれない。左腕に包帯巻かなきゃ。

ここまで、間違った方向性で作文しているのだけれど、つまりは、"百発百中"と題した曲を、本当に"百発百中"たらしめるのは、今まで歩いてきた足跡だということだ。その言葉に恥じない足跡を残した人間でしか照準を合わせられない飛び道具だ。リアルであり、今まで現実に戦ってきた歴史が物を言うそんな曲であり、般若そのものが格好いいからこそ言葉が際立っている。般若から言わせたら、私の称号"魔界王(仮)"はソレ チャンバラだね(笑)と一発で粉々に粉砕されてしまう。行動の伴った言葉だからこそ多くの人がリスペクトをするのだ。裏付けのある言葉の弾道は真っ直ぐにだけれど、正論だけが破壊力のある言葉だけじゃないとも般若は言う。理屈だけじゃない"虎の話"が次に続く。