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日本語ラップの感想を書いています。

般若「話半分」/08.汚ねえ居酒屋

般若「話半分」/08.汚ねえ居酒屋


汚ねえ居酒屋でジョッキを傾け笑う
一歩外に出れば高層ビル立ち並ぶ
肩で切るより この風で出来るだけ洗う
何でもねえ 何でもねえ 出来るだけ長く


般若「話半分」より「汚ねえ居酒屋」


素面で自分が何になりたいか話せるほど、私は出来あがっている人間じゃない。素面だったら、適当に誤魔化して本当の事なんて言うわけねぇ。この曲の話をするのに、一番都合悪い事があるとすれば、私は、酒を飲まないタイプの人間だということだ。酔っ払って口を滑らす感覚とかもよく分からない。さっき、公園でストロングゼロって書いたけど、あれ一缶で悪酔いして最悪な気分になっただけだから、もう絶対に飲みたくない。
だから、居酒屋に行く機会なんて、よほどでも無いとあり得ない。私が"汚ねぇ居酒屋"を想像したところで、所詮フィクションになってしまう。多分、"マクドナルド"の話をした方がよっぽどリアルになる。でも、居酒屋もマクドナルドも対して変わらないのは、その辺に、雑談が転がっていて、嫌でも耳に入ってしまうことだ。だから、ビートの上で繰り広げられる雑談のようなリリックは、ある意味ではセッションのように聞こえ、そこで交差する人生には、こくりと頷いてしまうリアルさが漂っていると思える。一番、話半分という言葉を地で行く曲かもしれない。他人事を真剣に聞くなんて、どこか矛盾している。雑談は、それこそ、話半分くらいに聞いていた方が良さそうだと思う。普通に生きていれば、皆、現実と真正面に向き合ってる事になる、居酒屋で話すときは、大抵斜め上くらいからそんな人生を見てるのかもしれない。それぐらいで眺める人生が話半分、酒のツマミになってくれそうだ。私も自分の将来を斜め上に見てみたら、一体何になりたいのか話せそうな気がする。

そうだなぁ、一体何になりたいか分からないけど、この記事を完成させた方が良いと思う。

結局、私は素面で書いてる訳だから、現実を直視して、今出来る事の話しか出来ない。エア居酒屋出来るほど私の居酒屋のカウンター席に余裕は無かったようだ。居酒屋から一歩外にでれば、誰でもそうなんだけど、そこには現実がある。居酒屋で現実でまた頑張る為に世間話なんかして一休みするんだろう。誰だって居酒屋でする話の目線はそんなにまっすぐではないけれど、"MY WAY"を追いかける視点はずっとまっすぐだと思う。

般若「話半分」/07.何者でもない

般若「話半分」/07.何者でもない



何者でもない 何者でもい
昼休憩終わり午後からまたサヴァイヴ
このバイト生活 どう抜けるかが課題
人から支持じゃなく指示され食いつなぐ まぁダサイ
って言っても悪い事する度胸ねえ
どんだけあんのかな 未来の可能性



般若「話半分」より「何者でもない」



この曲の良いところは、バースによって、"何者でもない"と始まる冒頭の聞こえ方が変わることだ。言葉は同じでも、背景が変われば、そこにかかる気持ちも変化していく。どこまで行っても"何者でも無い"と言える心持ちに、謙虚で向上心を持ち続けている姿勢を感じる事が出来る。一曲の中で言葉の重みが変わっていくリリックだと思う。仮に、私が、どこに当てはめられるかと考えた時、ちょうど、引用したぐらいじゃないだろうかと思った。冒険活劇の序章、ブレイブストーリーなら、ドアを開けた所、決意の朝にか。冒険物語の主人公は、勇気や情熱に溢れていて、主人公らしい。多分、現実だってそういう心持ちの人間は上手くやっていけると思いながら見ている。ドラクエの主人公達なんて、村が焼かれてる奴もいる。彼らに挫折という二文字は無いのかと不安になるくらい前向きだ。彼らは、物語が始まった時点で"何者"かになる道を歩いている。私は昔から何になりたいとか明確に思った事が無い。だから、この前、テレビに出てた小学生が「漫画家!」「料理人!」「プロデューサー!」なんて、はっきり目標を言っているのを見て、素直にすごいと思った。その時点で道は見えているのだから、あとは、走るだけだ。私が小学生の頃に作ったオルゴールを開けると、"私は将来何になっているのかなぁ"なんて、のんきな事を書いていた。今も分からないし、小学生の時から何になるか分からない漠然とした不安は全く解決されてないあたり、タイムマシンが欲しいとも思う。タイムマシンがあったら、小学生の自分に対して、ペニーワイズに成りきって、脅してやろう。(そんなことでバタフライエフェクトを起こそうとしてるあたりが大人げない。)
そういう人間にとっては、現実を直視している歌詞が、何者でもない自分とその先の道を考えるきっかけになったりする。
じゃあ、「お前、一体何になりたいんだよ」っていう、あまり直視したくない質問に対しては"汚ねぇ居酒屋"で答えたい。公園でストロングゼロよりは良いと思うから。

般若「話半分」/06.虎の話(あわよくば 隙あらば 俺だけが)

般若「話半分」/06.虎の話(あわよくば 隙あらば 俺だけが)


欲しがりません 立つまでは
そういう意味じゃなくて リングにな
倫理だけかざす奴に ドンキより本気でオイラはびっくりだ
交配を重ね 時を経て 急勾配な坂を登った
我々人類は皆集合体って事でハイ 集合だ


般若「話半分」より「虎の話(あわよくば 隙あらば 俺だけが)」


虎の話というと私は山月記を思い浮かべる。簡単にいったら、自意識の高すぎる男が拗らせた結果、虎になってしまうという話だったと思う。(たぶん)じゃあ、誰でも心の中に虎は飼っているけど、それを上手く飼い慣らして生活していると考えるのなら、人生は理屈だけじゃ語れないし、正しさだけで行動するのが全てじゃないと思える。般若の虎の話は、話半分の中では唯一、ふざけてる印象が強い曲だ。話半分というアルバムは一つの道のように筋の通ったアルバムだけれど、全部が正義や正論だけで出来ているわけでは無いからこそ、その話に人間味を感じる。
ぶっちゃけ、ここまで書いたけど、実は、ここまでが夢で、"もともとブログなんて存在していないんです"と行って欲しいくらいに、私は、文章を書くのに苦労するタイプだと思う。真面目にすらすら書けて無難にイラストをサッと描ける能力があったら、もう少し見栄えぐらい良くなりそうなものだけどと思う。その上、山月記の李徴ばりに詩人になって後世に作品残してやるとかいう自意識の高さを持てないから、虎にもならない。まあ、これで、拗らせて山林に駆け出したら、ちょうど虎になれそうだけど、それでも、よくて、野良猫ぐらいだ。ウォーキングデッドで誰かが、自分の事を家猫だと勘違いしている野良猫は哀れだって言ってたんだけど、自分はどうなんだろう…。とりとめの無い話で2-3行が過ぎる。うん、でもね、もし、これを100000人くらい読んでますって言われたら、ガッツポーズしてると思うから、やっぱり、私も人間だと思うんです。どうせ、誰も読まねえとか、自虐ネタ書いても、心の中には素直に読んで欲しいと思ってます。本当に、あわよくば 隙あらば 俺だけがって思いますね。よろしくお願いします。え?なんで、急に敬語になったのかって話ですか?
そりゃあ、ジョージ…。君の船を私が持っているから、是非、君に返してあげたいだけなんだよ。風船もあるよ。さあ、こっちに来るんだ…。
曲を聞いて、影響を受けた結果がこれだ。完全に悪のりも良いところだ。確かに正論だけじゃないから人間なのだけど、それ以外ばかり言うのも問題だ。虎になってしまう。そういう一面を受け止めて、前進しなきゃいけない。仮に、"何者でもない"としてもそうなのだ。

般若「話半分」/05.百発百中

般若「話半分」/05.百発百中

誰の事も舐めちゃいないから
殺す前に告白する 只
汚ねえやり方するよりまだ
コッチで魅せる ソレ 俺の性
何でもアリになっちまったな
その割に減っちまった 只
言葉遊びなら ソレ チャンバラ
オレか?オレなら見たまんまだ


般若「話半分」より「百発百中」

自分の言葉に"百発百中"だって言い切れない。そもそも、私に"百発百中"の銃は扱いきれない。暴発してどこに当たるか分かったもんじゃないからだ。16小節というマガジンの中に込めた弾を全弾撃ち込んで、人の心を射止めるのは、凄腕のガンマンでなきゃ出来ないことだ。これは、般若でなければ、打ち出せない弾だと私は思う。マイクを通して、打ち出す、魂のバレットは闇夜をつんざく一閃の稲妻だ………………。

きっと…感のいい君は……気づいてしまったのかもしれない………私が……何を…拗らせてしまっているのか…そして……私が"百発百中"という曲に…目をキラキラ輝かせて……古代から続く…闇の眷属の封印を……解こうとしていることをだ…

この一文だけで、私に"百発百中"という曲を作らせたら、歳にして、14,5の"闇の眷属"キッズ達の心だけをやたら撃ち抜くリリックしか作れないのが分かる。勿論、極炎十字式殺戮銃と書いてクロスロードヴォルカニックデススレイヤーと読む代物が登場するし、我が腕に魔改造して埋め込まれているという設定で話が進むに違いない。あ、でも、先天性の方が格好いいかもしれない。左腕に包帯巻かなきゃ。

ここまで、間違った方向性で作文しているのだけれど、つまりは、"百発百中"と題した曲を、本当に"百発百中"たらしめるのは、今まで歩いてきた足跡だということだ。その言葉に恥じない足跡を残した人間でしか照準を合わせられない飛び道具だ。リアルであり、今まで現実に戦ってきた歴史が物を言うそんな曲であり、般若そのものが格好いいからこそ言葉が際立っている。般若から言わせたら、私の称号"魔界王(仮)"はソレ チャンバラだね(笑)と一発で粉々に粉砕されてしまう。行動の伴った言葉だからこそ多くの人がリスペクトをするのだ。裏付けのある言葉の弾道は真っ直ぐにだけれど、正論だけが破壊力のある言葉だけじゃないとも般若は言う。理屈だけじゃない"虎の話"が次に続く。

般若「話半分」/04.素敵なTomorrow

般若「話半分」/04.素敵なtomorrow


助けなんて求めんな 大丈夫 自分で届けんだ
辛え怖えは今だけだ 戦う事を覚えんだ
孤独は一番強えから 姑息な奴等は弱えから
やられ続ける事 ソレは絶対違えから


般若「話半分」より「素敵なtomorrow」

この曲のリリックはいじめについて書いている。より身近な世界感の中で、前向きに生きるために戦う事を教えてくれる曲だと思う。これは、どんな人間の生き方でも通じる事で、自力で立ち上がる力が無ければ、結局は、一歩進んでも先に続かないと思うからだ。孤独で戦うのは諸刃の剣みたいで、失うものは無いが支えもない、背水の陣のような覚悟の状態だ。私は、とても覚悟が足りないと何度も言っている。戦場にその場でポンと放り出されたら、どうなるかといえば、それはその時が来ないと分からないことかもしれない。もしかしたら、覚悟を決めてしまったら、一騎当千の兵になって、歴戦の強者を打ちのめすかもしれない。戦況をひっくり返す最強の奇襲をかけられるかもしれない。
就職活動並みに自分への期待値を上げて、"かもしれない"から採用してみませんか?と机上の空論でリアルに対抗しようとするのだけど、世間にごまんといる面接官は厳しく、私に"~である"と言い切らないと駄目ですと堕落者の烙印を押してくる。終いには、棒にも箸にも引っ掛からないのになんでこんなブログ書いてるんだと問いただして、やつらはどや顔してくる。棒にも箸にも引っ掛からなくていい、お前の足を引っ掛けてとりあえず転ばせたいんだよと、この曲を聞きながら、世間の正論達に百発百中のローキックを食らわせる。別に空想だって良いと思う。他にこんな感想書くやつ居ないと思うから、続きを書く。

般若「話半分」/03.一歩

般若「話半分」/03.一歩

一歩 一歩 この道の中
一歩踏みしめ オレ達きっと
じっとしてられねぇからずっと
何かを描いてこの先一歩
譲れねぇモノや理想や嫉妬
ちっぽけだけれど最後にピッと
してえから行くよ 最初の一歩
止まる事なかれ オレ等の


般若「話半分」より「一歩」

一歩目っていうのは、一番振り幅が大きい。マイナスにもプラスにも0を1に変えるそれは、人生にとって大切なものの一つだと思う。その割りに、一歩目の大きさは千歩目に比べたら、小さく見える。新しいことにチャレンジするとき、結構な確率で挫折する。今日こそ本格的なグリルチキンを自前で作ろうと思ってるのに、結局、ファミレスに行ってしまう。そもそもオーブンが無い。スキレットもない。費用対効果が見合うかもわからないし、私がちゃんと作れるか未知数だ。だったら、ファミレスに行った方が良くね?といつも挫折する。 そもそも、こんな話をすることが、色々間違っている。私の一歩は本当にどうでもいい人生のかかってない事だ。私のモグモグライフが豊かになるかどうかの話で、最終的な目的地がサグなデブしか見えない。(この場合のサグはチキンサグのことだ。お腹へったね。)私が、真にラッパーだったら、「この曲聞いて、俺はラッパーになると決めたんだ!」とか、かっこいい宣言ができる。このリリックをバックグラウンドに出来たなら、そりゃ絵になるに決まってる。私に出来るのは、今のところチキンサグ宣言しか残されていないところを見ると、やっぱり、どう考えても般若の人生と私の人生の間にある溝がマリアナ海溝ばりに断裂してると思うから、ちょっとやそっと生コンを流し込んだくらいじゃ埋め立てすることも出来ない。般若って敬称略して書いていいのかも不安に思うくらい溝は深いのだ。それでも、私は、この記事を書こうと"一歩"を踏み出したのだから、最後まで書かないといけない。それが、チキンサグのせめてものケジメだ。この話にちゃんとオチがつくことを願いつつ、素敵なtomorrowに期待したい。

般若「話半分」/02.生きる

般若「話半分」/02.生きる

行こう ここじゃないとこ
少なくとも行った事ない場所
人を想って 人を憎んで
そして好きになって
泣いたろ 今気づいた
心に迷いなんかないだろ
だから時に黙って明日明後日
歩を進め そして朽ちるまで


般若「話半分」より「生きる」


愛憎って言葉ぐらい人を想った事があるなら、このリリックは響くだろう。私の感情は普段温厚だ。だから、それが、ちゃぶ台返ししていたら、それは相当キていると思う。普段は、他人をどうこう思わないし、どうでもいいと思う性格だ。そんな私がキレたらどうなるかと言えば、知らない夜の街中を一人滅茶苦茶に歩きまくるのだ。百鬼夜行もおののくような泣き顔でGoogleマップも開かないで、我いずこへ。
自分の当たり前が崩れる瞬間、当たり前にあったものが無くなった瞬間、人は動揺して分からない事をしてしまう。
何も無くなった瞬間に、何かあったことを悔やんで、全部嫌になってしまうことだってある。
それでも、生きる意味って何だろうとこの曲に問いただすなら、迷わず進めと言葉が背中を押す。
確かに、滅茶苦茶に歩いた先にも何処かにはたどり着く。Googleマップ開いたら、ちゃんと地名もついている。良かったね。
分からなくても、止まらなければ、やがては答えを見つけられるのかもしれない。仮に、着いた場所が、夜の路上だとしても、その夜がいつまでも続くわけではない。そっから"一歩"を踏み出せば、何か変わるのかもしれない。